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十輪院

(じゅうりんいん)

奈良町に息づく地蔵信仰と石造美術の名刹

十輪院は、奈良県奈良市十輪院町に位置する、真言宗醍醐派の歴史ある寺院です。山号は雨宝山(うほうざん)と称し、本尊には花崗岩で造られた地蔵菩薩を安置しています。寺は、江戸時代から明治期にかけての町家や細い路地が今も残る奈良町の一角にあり、観光客が往時の奈良の暮らしや信仰の面影を感じることができる静かな環境に包まれています。

華やかな大寺院が多い奈良において、十輪院は規模こそ大きくありませんが、国宝建造物や極めて珍しい石造文化財を数多く有し、日本仏教史・美術史の両面からきわめて重要な価値を持つ寺院です。特に、堂内に安置された石仏龕(せきぶつがん)は、わが国でも類例の少ない石造の厨子として知られ、訪れる人々に深い感銘を与えています。

奈良時代に始まる十輪院の起源と元興寺との関係

十輪院の創建は奈良時代にさかのぼります。寺伝によれば、右大臣・吉備真備の長男とされる朝野宿禰魚養(あさののすくね うおかい)が、元正天皇の旧宮殿を拝領し、寺院として開いたのが始まりとされています。当時の十輪院は、奈良仏教を代表する大寺院であった元興寺の子院、すなわち別院の一つとして位置づけられていました。

元興寺は飛鳥寺を前身とする由緒正しい寺で、奈良時代には国家的な仏教拠点でした。その子院であった十輪院も、当初は相応の規模と格式を備えていたと考えられます。朝野魚養は能書家として知られ、弘法大師空海の書の師であったとも伝えられますが、史料が乏しく、その実像はいまだ謎に包まれています。

弘法大師との縁と寺名の由来

寺伝では、弘仁年間(810~824年)に弘法大師空海がこの地に留錫(りゅうしゃく)したとも伝えられています。こうした伝承から、近世の地誌『大和名所記(和州旧跡幽考)』などでは、空海の創建とする説も記されていますが、実際の創建時期や経緯については諸説あり、定説には至っていません。

「十輪院」という寺名が文献上に初めて現れるのは、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(1283年成立)とされています。この名称は、地蔵菩薩の功徳を説く『地蔵十輪経』に由来すると考えられ、十輪院が中世には地蔵信仰の重要な拠点であったことを物語っています。

鎌倉時代に栄えた地蔵信仰の寺

現存する本堂(国宝)石仏龕(重要文化財)、そして現在は東京国立博物館に移築されている宝蔵などは、いずれも鎌倉時代の作と考えられています。このことから、鎌倉時代には十輪院が庶民の信仰を集め、特に地蔵菩薩を中心とする信仰の場として大いに栄えていたことがうかがえます。

中世以降、地蔵菩薩は死後の世界や現世の苦難を救う存在として広く信仰されるようになりました。十輪院もまた、そうした庶民信仰の流れの中で、多くの人々に支えられながらその歴史を刻んでいきました。

戦乱と再興――近世の十輪院

室町時代から戦国時代にかけて、十輪院は寺領三百石を有するまでに発展しました。しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀長によって寺領を没収され、さらに兵乱によって堂宇や宝物の多くが失われるという大きな試練に見舞われます。

その後、慶長7年(1602年)、徳川家康から添上郡肘塚町・法華寺町内に五十石の寺領が寄進され、寺は徐々に復興を遂げました。本堂や石仏龕の修復が進められ、江戸時代には再び地蔵信仰の高まりとともに、多くの参拝者を迎える寺院として息を吹き返します。

明治以降の変遷と文化財としての保存

明治維新後の廃仏毀釈の影響により、十輪院も一時は衰退し、校倉造の宝蔵を手放すなど苦難の時代を経験しました。しかし昭和に入ると、文化財としての価値が再評価され、1955年(昭和30年)には本堂と南門の解体大修理が行われました。

その後も1962年の不動堂修理、1976年の御影堂解体修理など、計画的な保存整備が続けられ、現在の落ち着いた境内景観が形づくられています。

本堂(国宝)――住宅風仏堂という稀有な建築

十輪院の本堂は国宝に指定されており、鎌倉時代の住宅風仏堂として極めて珍しい存在です。寄棟造・本瓦葺で、礼堂としての性格を持ち、背後の覆堂内に安置された石仏龕を拝むために建立されました。

建物は桁行五間、梁行四間と比較的コンパクトですが、低く抑えられた外観や蔀戸、板軒など、一般的な仏堂とは異なる意匠が随所に見られます。鎌倉様式の力強い蟇股や大仏様の繰形など、細部には高度な建築技術が凝縮されています。

石仏龕――日本でも稀な石造の厨子

本堂背後の覆堂内に安置されている石仏龕は、花崗岩の切石を積み上げて造られた、日本でも極めて珍しい石造の厨子です。間口約2.7メートル、高さ約2.4メートルという堂々たる規模を持ち、内部には地蔵菩薩立像を中心に、釈迦如来、弥勒菩薩、冥界の十王、不動明王、仁王、四天王、さらには北斗七星や九曜の梵字までが浮き彫りで表現されています。

当初は彩色も施されていたとされ、美術史上きわめて貴重な作例です。この石仏龕は「彫刻」ではなく「建造物」として重要文化財に指定されており、その独自性が高く評価されています。

境内の見どころと信仰の遺産

境内には、重要文化財の南門をはじめ、御影堂、護摩堂(不動堂)、魚養塚、鎮守社、庭園、十三重石塔、茶室「頻婆果亭」など、多彩な見どころが点在しています。魚養塚は、創建に関わったとされる朝野魚養の墓と伝えられ、石室内の石仏が静かに祀られています。

また、興福寺曼荼羅石をはじめとする石造文化財の数々は、鎌倉時代の信仰と美意識を今に伝える貴重な遺品です。境内を巡ることで、仏教美術と庶民信仰が密接に結びついてきた歴史を肌で感じることができるでしょう。

観光としての十輪院の魅力

十輪院は、喧騒を離れて静かに奈良の歴史と向き合いたい方にとって、格好の観光地です。奈良町散策の途中に立ち寄ることで、町家の風景と仏教文化が織りなす独特の雰囲気を味わうことができます。

国宝建築や稀少な石造美術、そして長い年月を経て受け継がれてきた地蔵信仰――十輪院は、奈良という古都の奥深さを静かに語りかけてくれる存在です。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、その落ち着いた空間の中で、日本仏教文化の豊かさを感じてみてください。

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十輪院
(じゅうりんいん)

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